神亀元年、聖武天皇の枕元に天照大御神が立ち、
「江州の湖中の小島がある。その島は弁財天の聖地であるから、
寺院を建立せよ。すれば、国家泰平、五穀豊穣、万民豊楽となるであろう」
とお告げがあり、僧行基を勅使として遣わし、堂塔を開基させたのが始まりだそうです。
いかにも不可思議な話です。
最初の鳥居から真っすぐ100段以上の石段を上ると、
立派な弁天堂へとたどり着きます。
周りの参拝客を見ると、恐らく私は若い方から1番か2番目くらいで、
殆どが年金受給者に見えましたが、
足腰に自信がある高齢者でないと登るのは大変だと思います。
弁財天堂が本堂で、
鳥居をくぐって本堂に到着したら弁財天という神様が祀られているという、
明治の廃仏毀釈を経て神仏分離したけれど、神仏習合している説明が困難なところです。
御本尊前には、ご真言が書かれていたので、お寺に相違は無いと思います。
小谷城城主の浅井家が弁財天信仰していたのは有名ですが、
小谷城で祀られていた弁財天が奉納されているようです。
戦国時代の悲しい歴史が刻まれた地域でもあり、
天照大御神のお告げの通り、
国家泰平、五穀豊穣、万民豊楽の世が続いて欲しいと願うばかりです。
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