明治の初め、神仏分離で宝厳寺から神社として分離したのが
「都久夫須麻神社」(竹生島神社)です。
本殿は豊臣秀吉が時の天皇をお迎えするために、
その時代の粋を集めて作った「日暮御殿」という
伏見城内最高の建物を神殿として寄進したものだそうです。
中は拝見することは出来ないのですが、
さすがに「伏見城内最高」といわれれだけのことはあり、
外から見た扉の絵や欄間の彫刻は、日光東照宮に引けを取らない豪華さを感じます。
本殿の天井絵は狩野永徳、光信の筆と伝えられ、
写真でしか見られませんが、実際に見ると恐らくうっとりして、
しばらくそこに滞在しそうな気がします。
近くまで行って実物が見られないのが残念ですが、
本殿は国宝なので、大切に保管して頂ければと思います。
神社の名前ですが、
「(神を)斎く(いつく)島」に由来し、
「つくぶすま」と変じ、「竹生島」となったということで、
その「つくぶしま」が都久夫須麻神社になったようです。
この島はとても神秘的なところです。
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