東舞鶴の金剛院の山門を潜って左手にある日本庭園は、
細川幽斎が作庭したと伝わっている素敵な庭園です。
細川幽斎とは、舞鶴が誇る田辺城城主で、戦国武将細川藤高の出家後の名前です。
嫡男の細川忠興の妻が、明智光秀の長女の玉子で、
後の細川ガラシャです。
父の明智光秀が本能寺の変で謀反を起こしたとして、
娘の玉子はこの時丹後に幽閉され、
クリスチャンとなってガラシャとなりましたが、
後に自害しています。
明智光秀は、本能寺の変の直後に細川藤高に援軍を依頼しましたが、
出家して幽斎となり、この一件に関わらずに生き延びた戦国の武将です。
人生とは選択の連続で、
その選択によってその人のストーリーが綴られます。
「もしあの時違う選択をしていたら・・・」
と考えることがありますが、
もし・・・していたらはもう存在しません。
自分のときめきを信じて日々前進したいものです。
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