達磨寺(法輪寺)の達磨堂の天井に達磨大師が描かれています。
京都のお寺の天井には龍が描かれていることが多いのですが、
さすが達磨寺だけあって達磨大師です。
そこに「不識」と書かれています。
不識を辞書で調べると、
1,知らないこと。
2,知らずに行った罪。
この場合は、
禅僧のことばです。
昔、中国の武帝が達磨に
「私の前にいるお前は何者か?」
と尋ねると、
達磨は「不識」と答えます。
自分が生まれてから身に着けてきた知識や経験に惑わされることなく、
それらを完全に捨て去ってこそ、
禅でいうところの「不識」を体得することができるのです。
知っているつもりは知らないと同然です。
「わからない」と心から納得することが出来れば
自然体で生きていけるのでしょう。
知ったかぶりして墓穴を掘ることって、
何のプライドなんだかと思います。
深いですね。
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