私が生まれ育った環境は、
幼少の頃は、自宅前を電車が通り、
自宅前から右大文字が見える「田の字地区」でした。
かつては西陣織の産地の南端で、
造り酒屋が何軒もあるような環境で、
四条烏丸の呉服問屋までは、そう遠くない街中で育ちました。
20代半ばに嫁いだ先は、
隣の家まで50m、
向かいの家まで100m離れていて、
見えるのはその2軒だけで、
見渡す限り山に覆われた谷間に建った一軒家でした。
小学校までは徒歩なら1時間、
総合病院までは、信号機のない道を速度違反の猛スピードで30分と、
それだけで都会育ちの人には想像できない環境です。
驚いたのはそれだけではありません。
商店街で育った私には、暗闇の経験が無かったのですが、
日が暮れると、漆黒の闇夜に包まれ、
家のすぐ近くを、獣がごそごそと動く音が辺りに響き渡ります。
幽霊が怖いとかいう前に、
動物と共存している事実が突き付けられ、
肉食獣でないことを祈りながら、
一目散に家の中に駆け込む日々が当初は続きました。
当時は、お風呂は外に小さな建物で、
そのドアノブにアマガエルがくっついていて、
ドアノブを握ると、ぐにゅっ!とした感触と同時に、
「ギャーっ!」という私の叫び声に家族中が反応して笑っていました。
そしてその横に、経験のない汲み取り式の和式トイレで、
誰かの排泄物を見ながらその上に排泄・・・。
子供を難関大学に行かせたいなら、塾の送り迎えも相当な労力でした。
結婚当時、農協の所長さんに、
「住めば都」
と言われた言葉で開き直ることが出来たのを今でも覚えています。
20年も住んでいたので、
すっかり田舎生活は板に付いていたように思いますが、
都会生活との大きな違いは、
車が無いと生活が成り立たない事です。
救急車やタクシーはすぐには来てくれません。
病院まで遠いので、
脳梗塞や心筋梗塞で倒れても、
治療が遅れるので、命を落とすこともあります。
台風や豪雨の後、木が倒れて電線に接触したことで停電するのは日常茶飯事です。
火事になっても、消防車の到着が遅いので、
初期消火は必須です。
それでも、田舎暮らしは人間本来の姿を思い出させてくれるのです。
デジタルず漬けの昨今、
家の前で農作物を育てて収穫する喜びは格別です。
太平洋戦争を経験されている人はご存じでしょうが、
食糧難の時代がやってきても、
食べる物に困らないのは田舎です。
田舎生活に憧れているなら、
リスクを十分考慮して、
都会から離れるのも一つの選択だとは思います。
タイ古式マッサージサロン風(ろむ)