等持院の初めの門をくぐり、
両脇に墓地が見えてきたその一角に
大きな像が目に飛び込んできます。
「マキノ省三先生像」と書かれています。
この地は元々等持院の塔頭跡だったのですが、
1921年に日活から独立した牧野昭三が
牧野教育映画製作所と映画撮影所を設け、
1933年まで存続したそうです。
太秦には今でも東映や松竹の撮影所が残っていますが、
昭和の初め頃には京都にはかなりの数の撮影所があり、
京都が映画製作の拠点であったことをうかがわせます。
子供の頃、大覚寺の大沢の池の前で
遠山の金さんの撮影をしていたのを思い出します。
テレビ時代劇の撮影ですけど。
残念ながら、50歳という若さで亡くなったとのことですが、
元気で長生きされていたら、
もっと映画界の発展に寄与されていたんだろうなあと思います。
牧野家のお墓もこの等持院にあるということなので、
この地からこれからも日本映画を見守っていかれるこてでしょう。
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日本映画の父「マキノ省三」像
