平安時代にはすでに存在していたと言われていますが、
この地に氷室が作られることとなり、
その管理を加賀の国の人々に任され、
地元で信仰していた菅生石部神社の神を勧請し、
その御母である木花耶姫命を北山の神と共に祀ったのが由来だそうです。
正式名称は「敷地神社」ですが、
のちに安産祈願の神社として信仰を集めるようになり、
お守りとして授与された藁に節があれば男の子、
無ければ女の子が生まれると言われています。
そこから、通称「わら天神」と呼ばれるようになりました。
最近では医学が進んで、
生まれる前にほぼ正確に性別が知らされるので、
昔のワクワク感は無くなったのですが、
どちらにしても、母子ともに無事に生まれてきて欲しいと願う気持ちは、
今も昔も変わりないものです。
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